サラ・ウォ―ス『食の哲学』の根本的欠点

『食の哲学』という本がよく売れているそうだ。この本の作者はアメリカの哲学者であるそうだが、この本には最初に注意しておきたい重要な(哲学といえない)専門的な、<誤り>があることを知っておいてほしい。

「はじめに」に、次のようなドイツの19世紀の哲学者フォイエルバッハの「食」に関する言葉が書かれているが、この本の作者(哲学者)は、フォイエルバッハの哲学者の食に関する著作を実際に読んだことがあるのだろうか(おそらく読んだこともないと断言できる)。この言葉は確かにフォイエルバッハの言葉=ドイツ語(Der Mensch ist, was er isst.)であるが、この本には重要な専門的な<誤り>があることを確認したい。

「はじめに」に、次のようなフォイエルバッハの「食」に関する言葉が書かれているが、以下の叙述は彼の食に関する著書を読んでいないことのまさに証明であり、ドイツのフォイエルバッハの「食の哲学」の無理解であり、また彼の哲学へのアメリカの功利主義にたったイデオロギー解釈である。

→ これについては、河上睦子『人間とは食べるところのものである―食の哲学(構想)』(社会評論社)2022を参照したい。

 

サラ・ウォ―スによる重要な誤りの基本点

フォイエルバッハは、率直に「あなたは食べたものでできている」と述べている」→フォイエルバッハは「あなた」ではなく、「人間」といっている。人間にとっての食べることの意味―聖書の「人間は食べるところのものではあらず(精神的存在)」―精神的だけでは生きられないこと=食べることの重要性を指摘した哲学者である。

⑵「フォイエルバッハによれば、「貧しい食事からは貧しい思考と感情が生じるということになる」→人間にとっての食がどのように大切なものであるかは、彼の宗教哲学批判から解釈しているのであり、宗教と食との関係を理解しないで、現代文化(とくにアメリカ的な食文化)一これは同時に哲学なき食論―は、作者自身の哲学者としての限界を示している。