食の改革

「オーガニック食品」の店が身近になってきている。私が住んでいる都の郊外にもそういう店がオープンになり、少しずつ利用者も増えているようだ。どうやらこれもコロナ禍での日本の食の世界の一つの変化であるように思う。

 このことに気づいたのは、(身体的理由から身近な世界に)、可能な限り「自然的な」食材を購入する必要が出てきたからである。もちろん日頃から「自然的な」食品・食材への関心を少しもち、日本の「企業」のなかでそうした関心を一番もっていると言われている「生活クラブ」の食料・品を利用しているが、「自然的な」食材を直接入手するようになり、食の「自然性」とは何かについて改めて考えるようになった。そしてそういう現代の自然的な食(材・品)の世界がどういうものなのか、現在考えている。cf:マイケル・ポーラン『雑食動物のジレンマ』上下

サラ・ウォ―ス『食の哲学』の根本的欠点

『食の哲学』という本がよく売れているそうだ。この本の作者はアメリカの哲学者であるそうだが、この本には最初に注意しておきたい重要な(哲学といえない)専門的な、<誤り>があることを知っておいてほしい。

「はじめに」に、次のようなドイツの19世紀の哲学者フォイエルバッハの「食」に関する言葉が書かれているが、この本の作者(哲学者)は、フォイエルバッハの哲学者の食に関する著作を実際に読んだことがあるのだろうか(おそらく読んだこともないと断言できる)。この言葉は確かにフォイエルバッハの言葉=ドイツ語(Der Mensch ist, was er isst.)であるが、この本には重要な専門的な<誤り>があることを確認したい。

「はじめに」に、次のようなフォイエルバッハの「食」に関する言葉が書かれているが、以下の叙述は彼の食に関する著書を読んでいないことのまさに証明であり、ドイツのフォイエルバッハの「食の哲学」の無理解であり、また彼の哲学へのアメリカの功利主義にたったイデオロギー解釈である。

→ これについては、河上睦子『人間とは食べるところのものである―食の哲学(構想)』(社会評論社)2022を参照したい。

 

サラ・ウォ―スによる重要な誤りの基本点

フォイエルバッハは、率直に「あなたは食べたものでできている」と述べている」→フォイエルバッハは「あなた」ではなく、「人間」といっている。人間にとっての食べることの意味―聖書の「人間は食べるところのものではあらず(精神的存在)」―精神的だけでは生きられないこと=食べることの重要性を指摘した哲学者である。

⑵「フォイエルバッハによれば、「貧しい食事からは貧しい思考と感情が生じるということになる」→人間にとっての食がどのように大切なものであるかは、彼の宗教哲学批判から解釈しているのであり、宗教と食との関係を理解しないで、現代文化(とくにアメリカ的な食文化)一これは同時に哲学なき食論―は、作者自身の哲学者としての限界を示している。

 

ジェンダー平等は日本社会の喫緊の課題

スイスのシンクタンク世界経済フォーラム」(WEF)が世界各国の男女格差を測る「ジェンダーギャップ指数」の2020年度の日本の順位が156カ国中120位と発表した(2019年は153カ国中121位)。政治、経済分野の男女格差が改善されず、主要7カ国(G7)中でも最低。分野別では政治分野が147位)▽女性管理職比率などに基づく経済分野が117位 識字率や在学率に基づく教育分野が92位健康寿命などに基づく健康分野が65位

 「健康」以外のほとんどが世界の半分以下である。日本がジェンダー平等に関しては後進国であることはずっと前から言われてきた。こうした日本の状況を政治家たちはどう受け止めているだろうか。まずは3項目を半分に達することを目標にしたいものだ。今年、衆議院選挙があるわけだから、クオーター制等を取り入れて、喫緊の課題として取り組んでほしい。性暴力の問題や別姓問題等に取り組むためにも、女性たちの社会的発言力を強化することが必要だと思っている。

 

 

 

 

 

現代の食の思想的問題(1)

食とSDGsの思想

「食の思想」研究において、最近、注目されるのは、グローバル資本主義の発達にともなう脱自然化・脱ローカル化・工業化・科学技術化の巨大化が引き起こす解決困難な諸問題に対する考え方である。とくにSDGs(持続可能な社会)という考え方が国連を中心として主張されるようになり、日本でも様々な活動がなされているが、これは現代の食の世界が抱えている課題でもあるだろう。

 SDGsで掲げられている17の課題のうち、1(貧困をなくそう)、2(飢餓をゼロに)。3(すべての人に健康と福祉を)等はもちろん6、14、15、などは食の問題そのものである。また世界的にも注目されている地球環境問題も、食料廃棄物や食品ロス問題などを引き起こしている食の世界の総合連関性問題といってよいだろう。それらは究極的には「食の消費主義」を支える「人間中心主義思想」に由来するものであるということができるだろう。

 

感染症と闘った先駆者:緒方洪庵の子孫たち

 NHKプレミアムで、「英雄たちの選択」という再放送をみた。江戸時代末期から明治時代に感染症と闘った三人の医にかかわる者たち;緒方洪庵、長与専斎、後藤新平。この3人が、現代の感染症コロナ禍のなかにいる私たちになにを語ってくれるか、取り上げた番組であった。

 番組は、緒方洪庵は医者として天然痘への挑戦、長与専斎はコレラ撲滅のための内務省の衛生政策の構築、後藤新平日清戦争軍人たちのコレラ検疫対策、という感染症への取り組みを取り上げたものである。

 このなかで私が注目したのは、緒方洪庵である。彼はどこまでも、人間の「いのち」への感染症の侵入・伝播を防ぐことを目指した医者であったようだ。

 コロナにかぎらず感染症パンデミックは、人間の国籍も人種も民族も文化も社会的地位も貴賤も選別しない「いのち」「身体」への侵入である。一国の首相あろうが、議員であろうが、芸能人であろうが、コロナウイルスは襲うのだ。ウイルスが好むのは人間間の社会文化の交流の場であっても、人間(の差異)を選ぶのではない。いわばウイルスは「人間を超えた」平等的なものといえそうだ。コロナウイルスは、人間の社会制度や文化が破壊しようとしてきた・している「自然の反撃」だといえるかもしれない。

 緒方洪庵の子孫である、現代コロナウイルスと闘っている医者たちも、そうした人間たちの社会的文化的営為が引き起こしてきたことへの「人間的なものを超えた力」の「反撃」に必死に戦っている者たちのようである。

コロナと食 (1)ゴーツー政策はコロナから国民を守る政策だろうか

コロナ対策として、日本の政府はさまざまな対策をたてているが、それはどういう目的をもつのだろうか。この政府指導の政策:ゴー・ツー・キャンペーンには、ゴーツートラベル、ゴーツー・イート、ゴーツー・イベントなどがあるようだが、それらは国民の(いのちと生活を守る)ための「コロナ対策」の一環ではないように思う。これはコロナによって疲弊している経済界を活性化するためという、あくまで経済対策である。それゆえ、コロナから国民のいのちを守る医療政策は二の次になる。

 コロナと私たちの食問題について、このブログ(5年間休止していた)で考えてみたい。まず「ゴーツーキャンペーンとはなにか」について確認する。

 

Go Toャンーン」は、新型コロナウイルイス感染収束後に日本国内の人の流れを創り出し、地域の再活性化につなげることを目的として、観光・運輸業、飲食業、イベント・エンターテインメント業などを対象に、補助金の支出により需要喚起を目指すャンーン施策です。またこの事業に関わる方々に、新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止策の実施を促し、三密(密閉・密集・密接)リスクを回避した新たな手法に取り組んでもらうなど、「新しい生活様式」に対応した事業活動の推進と定着を促していくものです。

それゆえ、キャンペーンの内容や目的によって取り扱う政府機関の部署が違うようです。以下のものがあるようです。

ゴーツートラベル観光庁:失われた旅行需要の回復や旅行中における地域の観光関連消費の喚起を図るとともに、ウィズコロナの時代における「安全で安心な旅のスタイル」を普及・定着させる。
ゴーツーイート:農林水産省Go To Eatキャンペーンは、感染予防対策に取り組みながら頑張っている飲食店を応援し、食材を供給する農林漁業者を応援するものです。ゴーツーイベント経済産業省:質問チケットの割引・クーポンの付与により、新型コロナウイルス感染症の感染拡大によって甚大な影響を受けている文化芸術やスポーツなどの需要喚起を促すものです。ほかにゴーツー商店街もあるようです。

ゴーツーすすツーえイートキャンペーンに関るよくあるご質問はこちらややスポーツに関するイベントのやスポーツに関するイベントのyあマナーを守って参加しよう。

  • 1.発熱などの症状がある時は参加を控えよう。
  • 2.マスクをつけて来場して「咳エチケット」を心がけよう。
  • 3.こまめに手洗い、消毒をしよう。
  • 4.ソーシャルディスタンスを確保しよう。
新型コロナウィルスの感染拡大の状況によっては、イベントが延期・中止になる場合がございます。

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