食の哲学とは

食の哲学は、食についての真の知恵を探ることにあるが、それには食べることの意味を問うことが第一にあるだろう。


もちろん食べ物に関する問いも含まれる。食の学問としては、現代ではとくに食の科学や食に関する医学、脳科学、心理学、社会科学などの理論がある。それらを踏まえて食の哲学はなされねばならないだろう。だが、それらをもって食の哲学が構築されるわけではない。食の科学者のなかに食の哲学を語る人がいるが、気になるのは自分の学問的知識や考えを、哲学だとして提唱していることである。


哲学というからには、そのための知の方法論=根源的なことへの志向と普遍性、が要求される。


他方で哲学専攻者、あるいは哲学研究者が、食について語ることもあるようだが、大抵、既存の哲学的知識からの応用編か自己の「哲学」の披露である。せいぜい哲学者が食についてこういったとか、食の問題への自分の考えとかの紹介がほとんどである。もちろん食の哲学は、哲学研究者の専売特許ではないことを自覚しておきたいと思う。伝統的な哲学は(ギリシアの哲学者たちを除いて)、食という「形而下的なこと」についてはほとんど思考してこなかったといってもよいからである。



食の哲学を語るときは、まず食についての哲学的方法論の提示が要請されるだろう。なにより現在必要なのは、食の哲学の方法論である。それがまだ確立されてはいないのである。まずそこから始めなければならないだろう。


食に関する思考や知恵の探求も、哲学の父、ソクラテスがいった「よく生きるための知恵」の探求であることを確認しておきたいと思う。