「新しき村」への想い―武者小路実篤記念館を訪れて

連休を利用して、以前から一度訪れたいと思っていた武者小路実篤記念館に行った。千川駅より歩いて5分位でした。一応インターネットで確かめていったので、地理音痴の私(たち)も苦労しなかった。近くに桐朋学園があり、とても感じの良い地域で、なんとなく都会風の色合いのある街だった。

まず実篤公園を通り、旧実篤邸(時々開館している)を見学し、そして道を挟んで奥に建てられている記念館を訪れた。そこには実篤の描いた絵ハガキ(今日流行の絵手紙の源流?)などが展示されていたが、私の見学の目的はそれとは別のところにあった。

私の目的は、彼がつくった「新しき村」について詳しく知りたいということにあった。それに関する写真やビデオ、資料などを見つけることできてよかったが、メッセージ性が弱いのが残念だった。


彼の「新しき村」への想いは、トルストイの影響からといわれている。それは、自然と人間が共存できるような「食」のあり方を求めて、自給自足と結びついた人間の平等関係を実践しようという運動として注目されるように思う。
でもトルストイと違って、彼の「新しき村」構想には、日本についての戦争や平和についての考えが弱いことを、改めて展示されている資料から知ることができました。そこには「食」と「生活」との関係が第一であっても、「食」と「争い」「戦争」との関係についての考察が十分ではなかったからではないだろうか。


かつての、そして今も日本人の文化人や知識人たちは、日本という枠組みを超えて、世界的な視野にたって考えることをしないことにあるとの思いを強くして帰ってきました。