AHN(人工的な水分・栄養補給法)について考えたいこと

近年AHN(人工的な水分・栄養補給法)導入をめぐる議論がありますが、この議論には食べることと生きることとの関係について考える必要がある問題を含んでいるように思います。


日本老年医学会は2012年1月に「高齢者の終末期の医療およびケア』についての「立場表明」を、6月には「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン―人工的水分・栄養補給の導入を中心として」を発表しましたが、これらを通して、食べることが今日医療の中でどのような位置づけをされているかが見えてくるように思います。


AHNについてのほとんどの議論には、食べることが生命維持のためのものと考えられています。でも「生命維持のために食べる」という考えには、食べることをが身体のレベルでしかとらえられていないように思います。食べることには楽しみや美味しさ、好き嫌いが含まれていますが、こうしたことには関知していないようです。そうしたことは個人的なことだと考えられています。

もちろん今日医療側もケアの問題が重要だとの認識に立っています。SOLからQOLへという考えが医療の基本精神となってきています。そこから食べることについても、QOLの問題として重要視されるようになってきました。でも問題はその先です。食べることがQOLやケアの問題なら、食べることの「中身」が重要です。でもそれは個人的な問題、医療を超える問題だと考えられています。そして医療のケアでは、それら(ケアの中身)の問題は本人の人生の「物語り」に属する問題、及び個人とそれを取り巻く人とのコミュニケーションでつくられる時間的な問題だと考えられており、そこから、それは本人を基本とする「意思決定」問題となっているようです。はたしてこれでいいのでしょうか。


少なくともそこには、食べることの楽しさや美味しさ、少なくとも食の味覚の意味についての認識が欠如しています。たしかに食べることの楽しさにはその人の人生観や価値観と結びついていますが、それらを個人の意思決定の問題に回収すればいいのでしょうか。


食べることの楽しさ、おいしさは人間にとっての食べることの基本的な要素です。ケアとはそうした人間にとっての食べることの核となる意義を認識する必要があるように思います。そうでなければ人間らしい生き方を考えられないように思います。